タイの放送・通信行政を担うNBTC(National Broadcasting and Telecommunications Commission)で、2カ月以上にわたり理事会が開けない異常事態が続いている。10月上旬、委員6人が委員長抜きで独自に理事会を開く動きに出たことで、ようやく膨れ上がった議題処理が再開される見通しだ。放送・通信分野での起業を考える日本人にとって、「規制当局が止まるとビジネスも止まる」というタイ特有のリスクをどう織り込むかが問われている。
NBTC理事会の空転と「暫定再開」
NBTCでは7月以降、理事会が繰り返し流会してきた。多くの委員が出席を見送ったためで、背景には、同月にNBTCの選考委員会がサラナ・ブーンバイチャイヤプルック委員長について「職に就く資格を欠く」と判断したことがある。
委員長であるサラナ氏は10月1〜2日の定例会合を招集したが、自身は欠席を要請したという。委員長不在への不信感や法的な位置づけの曖昧さが、委員の足をさらに遠のかせた構図とみられる。
こうした行き詰まりを打開するため、6人の委員が委員長抜きで独自の理事会を10月の金曜日午前10時30分から開くことで一致した。NBTC事務局もこれを支援し、臨時の枠組みを整える。
初回の仕事は、6人の中から会合を主宰する暫定議長を選ぶことだと、ピロンロン・ラマスータ委員は説明する。今後の会合日程や各委員の担当、議題の整理も、この臨時理事会で決める段取りである。
法的リスクと慎重な議題処理
ただし、この「委員長抜き理事会」が全てを一気に解決するわけではない。NBTC関係者は、サラナ氏が依然として委員長であり、会合を招集する権限を持っていることから、6人だけで承認した議案は、将来「規制上の異議申し立て」を受けるリスクがあると指摘する。
実際、NBTC事務局のトライラット・ウィリヤシリ代理事務総長は、6人の委員に理事会参加を要請する書簡を送る一方で、サラナ氏が招集していた元々の金曜会合をいったん取り消す必要があると説明した。二つの会合が重複しないようにするためで、手続きの一つ一つに神経をとがらせている様子がうかがえる。
未処理の議題も、一度に全て扱うわけではない。NBTC関係者によると、これまでの承認状況を確認し、あらためて規制プロセスをやり直す必要がある案件から順に取り上げる構えだ。
スパット・スパチャラサイ委員は、滞留議題の処理について「これは100メートル走ではない」と述べ、拙速を戒めた。将来の法的トラブルを防ぐためにも、法律に沿った慎重な手続きが欠かせないという認識だ。
6人の委員は翌週にも追加の会合を開くことを検討しており、特別会合の頻度を高めて蓄積した業務を徐々に片づける方針である。
デジタルTV業界が最優先課題
NBTC理事会の再開で、まず焦点となるのがデジタルTV放送業界だ。ラマスータ委員は、特別会合ではデジタルTV業界が直面する課題に最優先で取り組むべきだと強調した。
未処理の議題の中には、デジタル放送事業者にとって経営判断に直結する案件も含まれている可能性がある。承認済みと考えていた案件が、手続き上の問題から再審査となる場面もありうる。
ラマスータ委員は「私たちは公共のために働き、残された案件をすべて処理するつもりだ」と語る。そのうえで、これまで繰り返し報じられてきた「理事会の開催失敗」という表現について、記者はもう使うべきではないとも述べた。自ら「空転」に終止符を打つ決意を示した形だ。
もっとも、委員長の法的地位が揺らいだままの状態で出された決定は、後日、法廷や別の審査の場で争われるリスクを抱える。特に、資金調達や長期契約を伴う投資案件では、この不確実性が企業行動を慎重にさせる要因となるだろう。
個人起業家が押さえるべき視点
こうしたNBTCの混乱は、一見すると大手メディアや通信業者だけの話に見えるかもしれない。ただ、タイで放送・通信、デジタルコンテンツ関連のビジネスを考える個人起業家にとっても、少なくない示唆を含む。
まず、許認可や規制判断に依存するビジネスは、行政側のガバナンス問題によって「プロセスが止まる」リスクを前提にせざるを得ない。NBTCのような機関で理事会が2カ月以上開けなければ、新規参入やサービス変更の承認も、当然ながら棚上げとなる可能性がある。
そのうえで、起業家の側でできる実務的な備えとして、少なくとも次のような視点が重要になる。
- 事業スケジュールに「規制の空白時間」を織り込む 許認可が前提となるサービスでは、申請から承認までの期間を保守的に見積もり、行政側のトラブルで数カ月単位の遅れが出ても耐えられる資金計画を組む必要がある。
- 既存事業者との連携も選択肢とする 自ら免許や認可を取得するルートに加え、既にライセンスを持つ現地事業者との提携や業務委託も検討できる。規制リスクを単独で抱え込まない発想だ。
- 情報収集のチャネルを持つ NBTCの動きや理事会の開催状況は、タイ語メディアを中心に報じられる。タイ語に不安がある場合でも、信頼できる現地パートナーや専門家を通じて、規制当局の最新の動きを押さえておく意義は大きい。
- 契約や投資条件に「規制リスク条項」を入れる 出資や共同事業契約では、NBTCなど当局の決定が出るまでの条件変更や、承認が得られなかった場合の取り扱いを、あらかじめ文書に落としておく。小規模事業者ほど、万一の撤退コストを抑える仕組みづくりが重要になる。
こうした工夫は、放送・通信に限らず、他の規制産業にもほぼ共通する考え方だ。タイでの個人起業は、しばしば「スピード感」や「柔軟さ」が語られるが、その裏側で行政プロセスは必ずしも俊敏ではないという現実を直視する必要がある。
「止まった時計」が再び動き出すまで
NBTCの6人の委員は、相次ぐ理事会の流会に終止符を打とうとしている。特別会合の頻度を上げ、滞留した議題を一つずつ処理していけば、放送・通信分野の「止まった時計」は、いずれ通常運転に近づいていくだろう。
ただ、委員長の資格問題や、委員長不在で下された決定の法的安定性は、今後もくすぶり続ける可能性がある。今回のように、規制当局の内部事情がビジネス環境に影を落とす構図は、タイでは今後も繰り返されるかもしれない。
タイでの起業を考える日本人にとって大事なのは、こうした不確実性を「例外的な事故」と片づけず、ビジネスモデルと資金計画の中に織り込む姿勢である。規制のリズムが乱れることを前提に、それでも持続できる事業設計ができるかどうかが、タイで小さく始めて長く続けるための分かれ目になっていくと感じている。
