タイで個人起業を目指す日本人へ:いま押さえておきたいマクロ環境
タイで個人としてビジネスを立ち上げる日本人にとって、足元の経済・金融環境をどう読むかは事業計画そのものを左右します。
世界では貿易摩擦、AIブーム、金利動向などが錯綜する一方で、タイ経済は緩やかながらも回復と構造転換の両方が進んでいます。
以下では、「株式市場」「金融環境」「実体経済」「政策リスク」の4つの視点から、起業前に最低限押さえておきたいポイントを整理します。
※タイでは公的統計や契約書の日付に仏暦(仏教紀元)が用いられます。仏暦2566年は西暦2023年に相当します(「マイナス543年」が目安)。実務上、年次の読み違いには注意が必要です。
この記事の目次
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1. SET指数と資金フロー:個人投資家が主導する「リスク許容度」
足元のタイ株式市場は、短期的な利益確定売りを挟みつつも、全体としては上昇トレンドにあります。
– SET指数は直近1週間で1,468〜1,545ポイントのレンジで推移
– 週末の終値は1,528.26ポイントと前週比3.3%上昇
– 1日当たりの売買代金は平均945.8億バーツ
投資主体別の動きを見ると、
– 個人投資家:354億バーツの買い越し
– 証券会社:12.5億バーツの買い越し
– 海外投資家:4.3億バーツの買い越し
– 機関投資家:523億バーツの売り越し
と、個人マネーが市場を押し上げている構図が鮮明です。
アナリストは、タイ政治の動向を見極めながらも、資金流入は続くとの見方を示しています。
起業家にとっての意味は二つあります。
1. 国内マインドは「極端なリスクオフ」ではない
機関投資家が売り越す中でも、個人と一部の海外勢がリスクを取っている。消費者マインドやリスク許容度が完全には冷え込んでいないサインと読むことができます。
2. リスク資本にアクセスしやすい地合い
上場市場の活況は、直接的にIPOを目指すベンチャーだけでなく、未上場企業の評価や資金調達の雰囲気にも波及します。
個人起業レベルでも、将来的な出資を視野に入れるなら、いまの「リスク選好の戻り」は無視できません。
一方で、政治情勢が明示的に「リスク要因」として意識されている点は、事業リスクとして織り込む必要があります。政治ニュースのヘッドラインが、突然、為替や株価を振らすことは十分あり得る環境です。
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2. 政策金利1.00%:緩和モードが示すメッセージ
タイ中央銀行は、政策金利を0.25%ポイント引き下げ、1.00%としました。市場の一部にはサプライズと受け止められた動きです。
背景として示されたのは、
– 米国による関税動向の不透明感
– バーツ高による輸出産業への圧迫
といった外部環境への警戒です。一方で、中央銀行自身はタイ経済の成長見通しについて、
– 今年のGDP成長率見通しを1.5% → 1.9%へ上方修正
しており、「景気は弱くないが、外部リスクに先回りしてアクセルを踏む」姿勢が透けて見えます。
さらに、バーツ高への対応として、
– バーツ建てでのオンライン金取引に1人1プラットフォーム当たり5,000万バーツの上限を導入(3月1日から)
といった通貨防衛的な措置も打ち出しています。
起業家にとってのポイントは次の三つです。
1. 借入コストは歴史的に見ても低水準
銀行融資を利用する余地があるビジネスモデルなら、現在の金利水準は追い風です。もっとも、個人起業の初期は日本側資金や自己資本に頼るケースが多く、実際に恩恵をフルに享受できるかはケース次第です。
2. 為替ボラティリティへの備えが必須
通貨高を抑えようとする政策が示されていること自体、為替がビジネスリスクであることの裏返しです。
売上・コストをどの通貨ベースで管理するか、「タイバーツ建てで完結するモデル」か「円やドルとのミックス」かは、開業前に設計しておくべきテーマです。
3. 「緩和しても成長率は2%弱」という現実
金融緩和をしても、成長率は1〜2%台という慎重な見通しです。高成長前提の拡大戦略ではなく、「低成長でも黒字を出せる体質」を前提にしたビジネス設計が求められます。
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3. 実体経済の三本柱:輸出・製造業・観光
3-1. 輸出と製造業:量は伸びるが構造変化も進行
最新データでは、タイの輸出は依然として力強さを見せています。
– 1月の輸出額:315.7億ドル(前年同月比+24.4%)
→ 19カ月連続の増加、過去4年で最高水準
一方で、内訳を見ると明暗もあります。
– 自動車輸出:前年同月比▲6%、5月以来の低水準
– 要因:環境規制の厳格化、為替変動
– 自動車生産:+10.53%(1月、11万8,386台)
– 業界団体は今年の生産を3%増の150万台と予測(前年は微減)
さらに、
– 製造業全体の生産動向を示す製造業生産指数(MPI)は101.58ポイント
– 前年同月比+1.4%
– 前月12月の95.02ポイントからの回復
– けん引役は選挙関連需要と自動車セクター
と、内需と特定セクターが全体を押し上げている構図です。
また、タイ投資委員会(BOI)は、
– 中国企業5社によるヒューマノイドロボット部品製造への投資(総額100億バーツ)を承認
しており、製造業の高度化・新投資サイクル入りを印象づけます。
これらの数字から読み取れる、個人起業家にとっての示唆は次の通りです。
– 自動車関連は輸出面の逆風と国内生産の堅調さが同居
→ 販売よりも、生産工程の効率化・周辺サービス(部材調達、保守、ロジスティクス、ITソリューション)に商機が生まれやすい局面
– ロボット部品など新規投資の増加は、
→ サプライチェーンや周辺の通訳・コンサル・スタートアップ連携など、日タイ両言語・両文化を理解する日本人個人起業家には相性の良い領域と言えます。
もっとも、格付け会社TRISは、2026年の成長率見通しを1.7%→2.1%へ引き上げつつも、構造的な制約は依然として大きいと警鐘を鳴らしています。
製造業の裾野は広い一方で、「全体が高成長」というより、強い分野と弱い分野の差が拡大する局面にあると見ておく方が現実的です。
3-2. 農業輸出:コモディティ依存のリスク
タイの象徴的輸出品であるコメでは、陰りが見えます。
– コメ輸出量:53万トン(前年同月比▲17.5%)
– 輸出額:97億バーツ(▲30.7%)
– 2026年の輸出量は、過去5年で最低水準に落ち込む可能性との懸念
要因として、
– バーツ高
– 国際市場での競争激化
が挙げられています。
一次産品に依存したビジネスモデルは、為替と価格競争の波をもろに受けます。
日本人が個人で参入する場合は、原料ビジネスそのものよりも、高付加価値化(加工、ブランド化、観光との連携など)の方向を前提に検討する必要があります。
3-3. 観光回復:インバウンド需要は明確な追い風
春節(旧正月)期間中の観光統計は、観光業の回復を裏付けています。
– 春節週間の外国人観光客:87万9,587人(前年同期比+15%)
– 中国人観光客:前年の低水準から+110%の急増
数量ベースでは、まだコロナ前のピークには届いていないとみられるものの、回復の方向が明確であることは疑いありません。
個人起業にとっては、
– 日本語・タイ語・中国語を絡めた多言語対応サービス
– 少人数・高単価の体験型ツアーやコンシェルジュサービス
– 観光需要とオンライン販売(越境ECやSNSマーケティング支援)を組み合わせたモデル
など、「量」よりも「質」を重視する観光・サービスモデルにこそ勝ち筋があります。
統計の伸びに浮かれるのではなく、どの客層の増加が数字を押し上げているかまで意識して設計したいところです。
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4. 「三つの嵐」と「三本の矢」:マクロリスクを前提にした起業設計
タイの暫定財務相は、同国経済が直面するリスクを「三つの経済の嵐」と表現しています。
– 地政学的緊張
– 自然災害
– 国内の構造的弱点
そのうえで、これに対抗する「三本の矢」として、
1. インフラ投資の加速
2. 人的資本の育成
3. 法制度改革による制約緩和と投資誘致
を掲げています。
日本人の個人起業家というミクロの視点からは、次のように読み替えることができます。
– 地政学リスク・自然災害
→ 事業継続計画(BCP)をタイ国内だけでなく、日本との二拠点を前提に考える。サプライチェーンやデータのバックアップも「国境をまたぐ」前提を織り込む。
– 国内構造問題
→ 規制や手続きの複雑さを「ハードル」と見るか、「付加価値の源泉」と見るかが問われます。
日タイ両方の制度や商習慣を理解している日本人には、ローカル企業と海外をつなぐ通訳・仲介・コンサル的ビジネスに優位性が生まれやすい局面です。
– インフラ・人材・法改正の三方向への公的資源投下
→ 公共投資の集中する地域・セクターを意識した立地選定や、
人材育成プログラムと連動したビジネス(職業訓練、スキルアップ連携)など、政策と歩調を合わせる発想が重要になります。
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5. 起業家にとっての実務的チェックポイント
ここまでのマクロ動向を踏まえ、タイで個人起業を目指す日本人が、少なくとも押さえておきたいチェックポイントを整理すると、次のようになります。
1. 売上の主軸はどこか
– 観光:春節データが示す通り回復が顕著
– 製造業周辺:自動車・ロボットなど「伸びている領域」を支えるサービスか
– 農業・コモディティ:価格・為替ボラティリティをどう吸収するか
2. コスト構造と通貨建ての設計
– 政策金利1.00%の恩恵を受ける前提か
– 売上・仕入・人件費のどこをバーツ建て、どこを円・ドル建てとするか
3. リスクの前提条件
– 政治・地政学リスクにより、一時的に観光客数や為替が急変する可能性をどこまで織り込むか
– 自然災害・インフラ障害が発生した場合の業務継続シナリオ
4. カレンダーと年号のギャップ管理
– タイの公的書類や契約書では、仏暦(例:2566年=2023年)が一般的
– 許認可や契約更新の期限管理で、「西暦ベースの自分の感覚」と「仏暦表示」とのズレによるミスを防ぐ体制が必要
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結び:低成長・高不確実性の中で「日本人ならでは」の強みをどう出すか
タイ経済は、輸出と観光の回復、製造業への新たな投資を背景に、緩やかながらも成長軌道を維持しています。一方で、成長率は2%前後、構造課題は根強く、地政学や自然災害リスクも無視できません。
こうした環境下で、個人として起業する日本人に求められるのは、
– 為替とマクロ環境を前提にした堅実な損益設計
– 観光・製造業高度化・サービス輸出といった「追い風セクター」を選び抜く目
– 日タイ両方の制度・言語・商習慣を理解した「橋渡し役」としての付加価値
です。
マクロ指標は、個人事業レベルでは「遠い話」に見えがちですが、
どのビジネスが伸び、どこに公的資源が向かい、どこにリスクが集中しているのかを示すコンパスでもあります。
タイでの個人起業を検討する日本人にとって、いまは「高成長神話」に期待する局面ではありません。
むしろ、低成長と高不確実性を前提に、それでも生き残れるビジネスモデルを設計できるかどうかが問われるタイミングだと言えるでしょう。
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参照記事:https://www.bangkokpost.com/business/general/3206763/asian-shares-poised-for-best-february-on-record
