タイで個人起業する日本人のための「銀行」と「プライベートクレジット」入門
タイで個人事業や中小ビジネスを立ち上げようとする日本人にとって、「どこから資金を調達するか」は常に最初の課題になる。
仏暦2566年(西暦2023年)以降、世界では「プライベートクレジット(非上場企業向けの私募型融資)」が急速に存在感を増しており、タイでもそのエコシステムが立ち上がりつつある。
表面的には「銀行 vs プライベートクレジット」という対立構図で語られがちだが、実際には役割分担が進んでいる。骨格を支えるのが銀行、動きを滑らかにする関節の役目を果たすのがプライベートクレジット、というほうが実態に近い。
個人起業家にとっても、将来ビジネスが成長していく過程で、この二つの資金の性格を理解しておくことは、競争優位の源泉になりうる。
この記事の目次
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銀行とプライベートクレジット:役割は「競合」ではなく「補完」
銀行:預金を原資とした安定した「大動脈」
銀行は、預金を原資とし、バーゼルⅢ/Ⅳといった国際的な規制の枠組みのもとで運営される。これにより、
– 経済全体に対して競争力のある金利で融資を提供できる
– 企業との長期的な取引関係を維持できる
– 運転資金や設備資金など、通常の事業運営に必要な資金を安定供給できる
一方で、同じ規制が厳格な制約にもなる。
– セクターごとの融資上限
– 1社あたりの融資限度(シングル・オブリガー規制)
– 担保評価や内部与信方針
– 不透明感が高い局面では融資姿勢が慎重化
これらの制約は金融システム全体の安定には資するが、「リスクが一時的に高まる局面」で企業側が必要とする金額をフルには出しにくい構造を生む。
プライベートクレジット:機動力と柔軟性をもつ「関節」
プライベートクレジットファンドの原資は、預金ではない。年金基金、政府系ファンド、保険会社、大学基金などから集めたコミットされた機関投資家資本である。預金のように日々の引き出しに備える必要がないため、
– スピードと実行確度を重視した資金供給
– 契約条件(コベナンツ)を細かく設計したオーダーメード型の融資
– 銀行が一時的に引き気味になるリスクの高い移行局面への対応
といった役割を担う。
米欧ではすでに、
– Blackstone Creditがイベント会社Superstruct Entertainmentの初期拡大を支え、その後に銀行がリファイナンス
– KKR Creditが医療データ分析企業Cotivitiに移行期の資金を提供し、後に銀行にバトンタッチ
といった事例が積み上がっている。
タイもいま、同じような構造変化の入り口に立っている。
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「一番資金が欲しいときに出ない」ギャップをどう埋めるか
タイ企業が資金調達で苦労するのは、多くの場合「リスクが一時的に高く見える局面」だ。典型的には次のような場面である。
– 新規店舗・工場などの建設・開発フェーズ
– M&A後の統合作業の期間
– 不採算資産のリポジショニングや再生局面
– 売上が安定する前の初期拡大段階
銀行はこうした局面で、「段階的」あるいは「慎重」なスタンスをとりがちだ。すなわち、最初の一部は貸すが、プロジェクトの進捗やキャッシュフローの見通しが見えてくるまでフルコミットを避ける。
そこで空白となるのが、いわば「最後の一押し」の資金である。
プライベートクレジットが埋めるのは、この「ラストマイル」のギャップだ。
– 建設やプロジェクト進捗のための最後の資金
– 買収案件をクロージングに持ち込むための不足分
– 事業が軌道に乗るまでの運転資金のクッション
リスクが高い局面を、この柔軟な資本で乗り切り、キャッシュフローが安定してくれば、銀行がより低いコストでリファイナンスに入ってくる。
このサイクルは、整理すると次のような「分業」である。
1. 不確実性が高い局面:プライベートクレジットが支える
2. リスクが落ち着いた局面:銀行が低コストの長期資金で借り換える
3. 借り手:途切れない資金繰りで事業を継続・拡大できる
米欧で観測されているこのシーケンスを、タイもなぞりつつあるとみられる。
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個人起業家が押さえるべき「賢い使い分け」の視点
タイで個人起業をする日本人にとって、起業直後からプライベートクレジットにアクセスするケースは多くはないかもしれない。それでも、ビジネスが大きくなり、法人化し、プロジェクト規模が増していく段階では、次のような発想が重要になる。
銀行をどう位置づけるか
銀行は、あくまで「事業の背骨」として考えるべきだ。
– 日々の運転資金、仕入れや売掛の決済などオペレーション資金
– 設備投資など、長期的なビジネス拡大に必要な資金
– 長期にわたる取引関係とモニタリング
安定性と価格競争力を持つ一方、リスクが上昇するとブレーキを踏まざるを得ない存在でもある。
プライベートクレジットをどう位置づけるか
一方のプライベートクレジットは、「通常ではない局面」の選択肢として捉えるとわかりやすい。
– 事業ポートフォリオの転換期における資金
– 買収や再生など、複雑な構造を伴う案件
– スピードや柔軟性が求められ、銀行の通常プロセスでは間に合わない場面
ファンド側は、独立した担保評価や法的なエンフォースメントの確認、ESGやコンプライアンス、マネーロンダリング対策など、機関投資家水準のガバナンスを前提に融資を組成する。
これは、透明性が必ずしも高くない中堅企業向け融資の領域に、一定の規律を持ち込む役割も果たしている。
起業家にとっての実務的な含意
借り手から見れば、次のような整理になる。
– 銀行:
– 日常の事業運営と長期的な成長資金を支える主役
– 価格(利率)は相対的に低いが、条件と審査は厳格
– プライベートクレジット:
– 成長加速、ターンアラウンド、複雑な案件などの「特殊局面」を支える存在
– 柔軟かつスピーディーだが、その分、構造や条件は精緻
この二つを「どちらを選ぶか」ではなく、「どのフェーズでどう組み合わせるか」として発想できる事業者は、タイ市場で一歩先を行くことになる。
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タイの金融エコシステム進化が、起業家の武器になる
タイではいま、銀行による慎重で規律ある融資と、プライベートクレジットによる柔軟で機動的な資金供給が、対立ではなく「協調」の方向に動きつつある。
– 銀行は、規制やリスク制約で手が出しにくい局面をプライベートクレジットに託し、
– プライベートクレジットは、出口としての銀行リファイナンスや、日常オペレーションを支える銀行との関係に依存する
こうした補完関係が広がれば、タイの金融システム全体としては、
– リスクが高まった局面でもプロジェクトが止まりにくくなる
– 中堅企業セグメントの透明性と規律が高まる
– 経済全体のレジリエンス(耐性)が増す
という方向に働く。
仏暦2566年(西暦2023年)頃から始まったこの構造変化は、タイで個人起業に踏み出す日本人にとっても無関係ではない。
自らのビジネスが成長し、より大きな投資や再編を視野に入れる段階に達したとき、銀行とプライベートクレジットの「二つの資本」を戦略的に使い分けられるかどうかが、競争優位を分けることになる。
タイでの起業を、単に「現地で会社をつくる」だけの話にとどめず、「どの資本と組むか」まで視野を広げて設計できるか。
その視点を持つことこそ、日本人起業家に求められる次の一手である。
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参照記事:https://www.bangkokpost.com/business/general/3165970/private-credit-friend-or-rival-of-banks
