世界銀行と国際通貨基金(IMF)の年次総会が、バンコクで開かれている。中東での戦争と「史上最大のエネルギー供給ショック」、そして記録的な債務膨張が同時進行するなかでの開催だ。タイでの個人起業を考える日本人にとっても、エネルギー価格や金利、需要の変動が「前提条件」から揺らいでいることを意味する。
バンコク開催のIMF・世銀会合の焦点
今回の年次総会には、世界各国の財務当局者がバンコクに集結する。中東で8カ月目に入った米・イスラエル主導のイランとの戦争と、それに伴うインフレや生活苦が、公式議題と水面下の対話の双方を支配する構図だ。
イランがホルムズ海峡を封鎖し、世界の石油の約2割が止まる事態となったあとも、世界成長は当初の懸念ほど落ち込んでいないと、世界銀行のアジェイ・バンガ総裁は語る。ただ、ディーゼル価格や肥料価格の急騰に加え、「スーパー・エルニーニョ」と呼ばれる強い気候現象の影響が重なり、圧力は再び高まっているという。
IMFのクリスタリナ・ゲオルギエバ専務理事も、恒例のスピーチで「冬が来る」と警鐘を鳴らした。IMFは2026年の世界成長率見通しを3%とする基調は維持しつつ、一部の国については成長率を引き下げる方向だとされる。ロシアの侵攻と戦い続けるウクライナや、イランの攻撃とエネルギー輸出減に直面する湾岸産油国などが対象とみられる。
一方で、米国のスコット・ベッセント財務長官は「国内の用務」を理由に欠席し、2人の高官を代理として派遣した。米国が議長国を務める20カ国・地域(G20)財務相会合も続けて欠席する判断は、イラン戦争やウクライナ情勢、国際刑事裁判所(ICC)への制裁をめぐり緊張が高まるなかで、各国のいらだちを招く可能性がある。
バンコクへの航空路の多くは中東を経由する。最近、サウジアラビアの空港が攻撃を受けたこともあり、約1万人超とされる参加者や随行者にとって、すでに安全保障は足元の課題となっている。金融と安全保障が切り離せないテーマになった現実を、開催地タイも共有する形になる。
エネルギーショックがもたらすコストの波
今回の危機は、エネルギー分野から波紋が広がっている。G7各国は、米国のドナルド・トランプ大統領の強い圧力を受け、ディーゼルと原油を計1億バレル、緊急備蓄から放出することで合意した。11月の米選挙を前に、ガソリン価格を抑えたい思惑が透ける。
トランプ氏はさらに、ロシアからのディーゼル供給を増やす取引と、ロシアへの制裁の一部を一時停止する措置を発表した。これはウクライナへの戦費を減らす狙いで課してきた制裁を緩める判断であり、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は即座に批判している。
戦争が始まった2月28日以降、陸上の商業在庫を中心に、すでに10億バレル超の石油が市場に放出されたとされる。ただ、その結果として「市場がアクセスできる在庫」は目に見えて減っており、市場の脆弱性と価格上昇圧力を高めていると、業界関係者は指摘する。
起業家の目線で重要なのは、こうした世界市場の動きが、ディーゼル価格や電力料金、物流費に時間差で波及することだ。トラック輸送やデリバリーに依存するビジネス、冷蔵・冷凍を多用する飲食業や食品小売は、仕入れや輸送コストの上振れリスクを、事業計画に組み込まざるを得ない局面といえる。
肥料価格の上昇は、農産物価格の乱高下につながる可能性がある。エルニーニョによる異常高温が重なれば、専門家の試算では45万人規模の熱関連死につながるおそれも指摘されている。タイ国内の農産物や食材の値動きも読みづらくなり、原材料価格の転嫁方法やメニュー価格の見直しなど、小さな店舗でも価格戦略の柔軟性が問われる展開になりそうだ。
世界的な債務膨張と資金調達の環境
エネルギー高だけでなく、世界の公的債務の膨張も、各国の政策余地を狭めている。IMFによれば、世界全体の公的債務は第2次世界大戦後で最も高い水準にあり、2030年までに国内総生産(GDP)の100%を超える見通しだ。
債務残高の対GDP比が最も高いのは米国を中心とする先進国だが、新興国や低所得国のほうが、むしろ脆弱だとIMFはみる。米国の利上げを受けた資本流出、エルニーニョの影響、人工知能(AI)への投資不足などが重なり、ショックに対する耐性が弱いという構図である。
開発途上国の多くでは、すでに利払いが歳入の1割超を占める水準になっているとされる。新たな融資を受ける際も、より高い金利が求められ、条件面での交渉が厳しくなる公算が大きい。
こうしたなかでIMFは、融資条件を「数は絞る代わりに、より深い改革」を求める方向に見直そうとしている。開発NGO「ユーロダッド」で債務問題に取り組むイオランダ・フレスニーロ氏は、「国々はすでに高い債務返済のために歳出を削り、IMFの条件に対応している」と話し、さらなる緊縮策への懸念を示す。
ケニアでは、債務再編を避けるために政府支出を削減し、増税を試みた。これが若者を中心とした大規模な抗議行動を招いたとされる。フレスニーロ氏は、深刻な危機をIMFが正面から認めなければ、信用を失い、「ガバナンス構造を変えない限り、IMFは存在感を失い続ける」と厳しく批判した。
タイを含む新興国も、高金利と財政余力の制約のなかで、景気対策や社会保障に十分な予算を割けない局面がありうる。個人起業家の立場から見れば、金利上昇や金融機関の与信姿勢の慎重化、さらには増税や補助金削減といった形で影響が来るリスクを、資金計画に織り込むことが重要になる。
開業資金を借り入れに過度に依存しないこと、返済期間や金利条件に余裕を持たせること、売上が一時的に落ち込んでも数カ月は耐えられる運転資金のクッションを確保しておくことが、これまで以上に意味を持つ局面だといえる。
安全保障リスクとビジネスの現場
3年前、IMF・世界銀行の年次総会はモロッコで開かれた。当時は、ハマス主導の武装勢力がイスラエルで1200人を殺害し、それに対するイスラエルのガザ空爆で7万4000人超が死亡し、パレスチナ地域の都市が破壊された直後だった。
当時、多くの財務当局者は、ハマスの攻撃を「経済問題ではない」とみなしていたと、米シンクタンク「大西洋評議会」の国際経済担当副総裁、ジョシュ・リプスキー氏は振り返る。ただ、その後の展開を見れば、安全保障と国際金融の結びつきは、もはや否定しようのない現実になったという。
今回のイランとホルムズ海峡封鎖をめぐる危機も、3年前の出来事と地続きの問題だとリプスキー氏は指摘する。「現在起きていることは、3年前の出来事と直接つながっている。政策担当者は、もはや以前の世界には住んでいないことを認識し、より機敏に対応する必要がある」と語る。
バンコクで起業する日本人にとっても、政治・安全保障リスクは「遠い世界の話」ではなくなっている。自身や家族の渡航ルート、主要な取引先や仕入れ先のサプライチェーンが中東や紛争地域を経由していないか、確認しておく意義は大きい。
航空便の遅延や一時運休が発生しても事業継続できるよう、オンライン会議やクラウドサービスを前提としたオペレーションにしておく工夫も欠かせない。物理的な移動に依存しないビジネスモデルほど、地政学ショックへの耐性は高まる。
起業家に求められる“冬支度”
IMFトップが発した「冬が来る」という言葉は、マクロ経済だけでなく、個々のビジネスにも向けられたメッセージと受け止めるべきだろう。エネルギー価格の乱高下、世界的な債務問題、政治・安全保障リスクが同時に動く時代には、「平常時の前提」で事業計画を作ること自体が危うい。
タイでの個人起業を考えるなら、まず収益モデルとコスト構造が、どこまでショックに耐えられるかを試算しておきたい。売上が一時的に2〜3割落ち込む、光熱費や物流費が急に上がる、税金や規制が変わる――そうしたシナリオをいくつか描き、それでも回るラインはどこかを押さえる作業である。
同時に、借金だけに頼らない資金調達や、固定費をできるだけ軽くする働き方、複数の収入源を組み合わせる発想も重要になる。IMFや世界銀行といった国際機関でさえ、批判にさらされ、対応を模索しているのが今の世界だ。であれば、個々の起業家にとっての最善のリスク管理は、「大きな安全網」を当てにすることではなく、自らのビジネスのしなやかさを高めておくことに尽きるといえる。
