タイで個人起業する日本人が押さえるべき「損害保険」最新トレンド
タイで事業を立ち上げる際、オフィス選びや営業戦略に目が行きがちですが、見落としやすいのが「損害保険」です。
タイでは仏暦2566年(西暦2023年)以降、リスク環境が大きく変化するなかで、損害保険業界はなおも着実な成長軌道を維持しています。これは、個人起業家にとって「どのリスクを保険で移転し、どこまで自ら負うか」を考えるうえで重要な前提条件になります。
以下では、タイ損害保険協会(TGIA)などのデータに基づき、損害保険市場の動向と、個人起業家が押さえておくべきポイントを整理します。
—
この記事の目次
1. タイ損害保険市場の現状:緩やかながら安定成長
損害保険業界は、自然災害や経済変動といった不確実性が高まるなかでも、保険料収入ベースで2〜3%台の伸びを維持しています。直近の9カ月間でも、前年同期比2.89%増と、過度なブームでもなく、しかし確実に市場が拡大していることが示されています。
業界団体の見通しでは、数年先にかけても保険料収入は2.5〜3.5%程度の増加が見込まれており、総額では3,000億バーツ規模に達する予測です。
気候変動、技術の急速な進展、世界経済の不透明感といったマクロリスクが増す一方で、タイの損害保険市場は「レジリエント(耐性が高い)」な産業として機能していると言えます。
個人起業家にとっては、「必要な保険がそもそも市場に存在し、継続的に供給される基盤がある」ことを意味します。保険商品が撤退・縮小しがちな不安定市場とは異なり、中長期の事業計画に保険コストを織り込みやすい環境です。
—
2. 成長が見込まれる3分野:起業家に直結するチャンスとコスト
TGIAの見通しでは、なかでも以下の分野が2026年にかけて相対的に高い成長を見込まれています。これは、そのまま「どのリスクが市場で重要視されているか」を示す指標でもあります。
(1) 旅行保険:観光・ワーケーション関連ビジネスに直結
旅行保険は2026年に12〜13%の成長が予測されています。背景としては、
– バーツ高傾向
– 観光需要の回復
– 「ワーケーション」(仕事とバケーションの組み合わせ)需要の増加
– 海外イベントや国際出張の機会拡大
などが挙げられています。
個人起業家への示唆:
– 観光関連ビジネス、ワーケーション向けサービス、イベント運営などを検討しているなら、
– 自社の顧客向けに旅行保険を組み込んだパッケージ商品をどう設計するか
– 自らの海外出張・視察の保険コストをどう見込むか
を事業計画に入れておく必要があります。
– 旅行保険市場が拡大しているということは、「旅行中のトラブルリスク」が顧客と保険会社の双方から重く見られていることの裏返しです。観光・サービス業で起業する場合、保険加入だけでなく、
– 安全ガイドラインの整備
– 事故発生時の対応プロセス
もあわせて準備しておくべきでしょう。
(2) 医療保険:高齢化と医療費上昇が背景
医療保険は9〜10%の成長が見込まれています。理由として、
– タイ社会の高齢化の進行
– 医療費上昇への認識の高まり
が挙げられています。一方で、「医療インフレ」が保険会社の収益を圧迫しており、医療保険ビジネス自体は難易度が上がっています。
個人起業家への示唆:
– 自身の医療リスクをどうカバーするかは、ひとり会社・少人数事業では事業継続そのものに直結します。
– 医療インフレが続くということは、
– 長期的には保険料水準も上昇圧力がかかりやすい
– 保障内容の見直しが頻繁に行われる可能性
を意味します。
したがって、起業時点での保険料だけでなく、「数年後の保険コストの上振れ余地」を念頭に、キャッシュフロー計画を保守的に組んでおく方が安全です。
また、将来スタッフを雇用する想定があるなら、医療保険は福利厚生メニューとしても重要性が増していきます。市場が拡大していることは、企業向けオプションも多様化する可能性を示唆しており、選択肢の幅は広がると考えられます。
(3) 施設賠償責任保険:法的責任への意識の高まり
パブリック・ライアビリティ(PL)と呼ばれる対人・対物の賠償責任保険は、7.5〜8.5%の成長が見込まれています。背景には、
– 事業者が第三者に対する法的責任をより強く意識するようになっていること
があります。
個人起業家への示唆:
– 店舗、オフィス、コワーキングスペース、イベントスペースなど「人が出入りする場所」を持つ事業形態では、
– 来店客・取引先・近隣住民などへの損害賠償リスク
をどう抑えるかが課題になります。
– 賠償責任保険市場が拡大しているのは、事故発生時の金銭的インパクトが無視できない水準に達していることの表れです。少額資本での個人起業ほど、1件の事故で経営が即座に行き詰まるリスクがあるため、
– 賠償責任保険の加入可否
– 補償額の水準
を、開業前に検討しておくことが合理的です。
—
3. 逆風分野から読む「外部リスク」:物流・貿易の不確実性
一方で、海上保険・運送保険は2026年に1.5〜2.5%のマイナス成長が予測されています。要因として、
– 世界貿易の先行き不透明感
– 貿易摩擦の激化
– 米国の関税政策
が挙げられており、タイの輸出セクターへの圧力となっています。
個人起業家への示唆:
– 貿易・物流関連のビジネスモデルを検討している場合、
– 物理的な輸送リスクだけでなく、世界的な貿易環境の変動リスク
を前提とした計画が必要です。
– 海上・運送保険の縮小トレンドは、「この分野の保険料が単純に下がっている」という意味ではなく、むしろ
– 貿易量そのものの伸び悩み
– リスク評価の厳格化
の反映と読み取るべきでしょう。
リスクが高まるなかで、保険会社は再保険コストの上昇にも直面しており、条件や引受姿勢がより選別的になる可能性があります。輸出入を前提とした事業構想の場合、物流ルートや在庫戦略とあわせて、保険調達の難易度も勘案する必要があります。
—
4. 新たなリスク領域:EV・サイバー・ESGをどう見るか
タイ損害保険研究開発社の分析では、今後の新たなリスク領域として、
– 電気自動車(EV)
– サイバーセキュリティ
– ESG(環境・社会・ガバナンス)
が挙げられています。
EVについては、修理費用や部品代の上昇が課題となっており、保険会社にとっては新しいリスクプロファイルの領域です。また、自然災害の頻度・深刻度の増加、再保険コストの上昇も、業界全体の大きなテーマになっています。
個人起業家への示唆:
– 配送や出張にEVを活用する場合、
– 修理費・部品コストの高さが保険料に反映されやすい
という構造を念頭に、コスト試算を行う必要があります。
– サイバーリスクやESGは、現時点では大企業向けの文脈で議論されがちですが、
– 顧客データを扱う小規模事業
– 社会的信用を重視するBtoB取引
では、個人起業家にも無関係ではありません。
今後、こうした新領域の保険商品が拡充していく可能性が高く、将来的には「加入していること自体が取引先との信頼条件」となる場面も想定されます。
—
5. 不確実性の時代に「保険をどう使うか」
損害保険業界は、激しい環境変化のなかで、
– 巨大災害リスクに備えたモデリングの高度化
– 再保険プログラムの効率化
– 公的機関との連携強化による医療インフレ対応
といった取り組みを進めています。これは、単に保険会社の経営課題にとどまらず、「リスクを社会全体でどう分担するか」という設計の問題です。
個人起業家にとっては、次のようなスタンスが現実的です。
– すべてを保険に頼らないが、「事業継続不能リスク」は保険で移転する
– 高額の賠償・長期入院・大規模な物損など、1回の事故で事業が立ち行かなくなるリスクには保険を活用する。
– 成長分野(旅行・医療・賠償)の保険を「コスト」ではなく「信用インフラ」と見る
– 顧客・取引先に対する説明力、信頼感の源泉として位置づける。
– 環境変化(医療インフレ、再保険コスト上昇など)を前提に、保険料の将来上振れを想定する
– 「今の保険料が10年続く」とは考えず、マージンを持った事業計画を組む。
—
6. 結論:タイで起業するなら、保険市場の「数字」を読んでおく
タイの損害保険市場は、伸び率こそ急成長ではないものの、
– 気候変動・技術変化・世界経済の不安定さという逆風のなかで堅調に拡大
– 旅行・医療・賠償責任といった、個人起業家に直結する分野が高い成長を見込まれている
という意味で、「起業環境の重要な一部」となっています。
タイでの個人起業を検討する日本人にとって、損害保険は単なる付随コストではなく、
– 事業の“耐震設計”をどう行うか
– 顧客・取引先からの信頼をどう構築するか
を左右する戦略要素です。
市場の成長率や分野別の動向という「数字」をひと通り把握したうえで、自らのビジネスモデルに必要な補償範囲と優先順位を、できるだけ早い段階で言語化しておくことが、タイでの安定した事業運営への第一歩になります。
Photos provided by Pexels
参照記事:https://www.bangkokpost.com/business/general/3162430/group-expects-nonlife-sector-to-maintain-growth
