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日本発「インバウンド減速」から学ぶ、タイ個人起業のリスク設計
タイで個人起業を考える日本人にとって、いま日本で起きているインバウンド(訪日観光客)の減速は、決して“よその国の話”ではない。
東京で公表された公式統計は、一国の観光需要に依存することの危うさと、政治・外交がビジネスに与える破壊力を、数字で示している。
ここでは、日本の事例を整理しながら、タイで小さく起業する日本人が押さえておくべき「リスクの視点」を抽出していく。
中国人観光客の伸びが急減速:日本で何が起きたのか
日本政府観光局(JNTO)の最新データによると、2025年11月の中国本土からの訪日客は56万2,600人。
前年同月比ではかろうじて3%増えているものの、その前の年の同じ時期には111%増という高い伸びを記録していたことを踏まえると、増勢は急ブレーキがかかった格好だ。
数字の推移を時系列で追うと、減速ぶりがより鮮明になる。
– 2025年9月:中国本土からの訪日客 77万5,500人(前年比 +18.9%)
– 2025年10月:71万5,700人(前年比 +22.8%)
– 2025年11月:56万2,600人(前年比 +3.0%)
10月は中国の大型連休「ゴールデンウィーク(国慶節)」にあたり、例年は11月に向けて需要が落ちるとはいえ、今回は10月→11月の減少率が21.4%ときわめて大きかった。
前年(2024年)の10月→11月は6.3%の小幅な減少にとどまっており、2025年の落ち込みが異例であることが分かる。
同じ流れは香港にも現れている。
2025年11月の香港からの訪日客は20万7,600人で、前年同月比8.6%減。
一方、前年の11月は、西暦2023年(タイ仏暦2566年)同月比で13.3%増だった。
対照的に、台湾から日本への旅行は底堅い。
2025年11月の台湾からの訪日客は54万2,400人で、同月として過去最高を更新。前年同月比11.1%増と、増勢を維持している。
つまり、日本にとって最大の送客地域である「中国本土・香港・台湾」のうち、中国本土と香港が急減速・減少し、台湾だけが過去最高を更新している構図だ。
減速の背景:政治・安全保障リスクが観光を直撃
この観光需要の変化は、純粋に「旅行の流行」だけで説明できるものではない。
背景には、中国と日本の外交関係の悪化と、それに伴う旅行警告がある。
2025年11月7日、日本の高市早苗首相が、台湾有事の際に日本が他国とともに「集団的自衛権」を発動する可能性に言及した。
台湾を中国の一部とみなす北京にとって、この発言は強い警戒感の対象となり、両国間の緊張は一気に高まった。
その後の中国側の動きは、観光市場に直接的な打撃を与えた。
– 11月14日以降、中国政府が日本行き旅行を控えるよう複数回にわたり警告
– 11月27日、中国大使館が「近い将来の日本旅行計画は延期を」と自国民に勧告
(理由として、日本での中国人への暴行や差別の増加を挙げる)
– 11月15日、香港政府の治安当局も、日本を訪れる香港市民に対し安全面での注意喚起
航空会社の対応も速かった。
11月15日には、中国国際航空(エアチャイナ)、中国南方航空、中国東方航空、海南航空、四川航空、厦門航空、春秋航空といった主要航空会社が、日本行き航空券の無料払い戻しや日程変更を一斉に認める措置を発表。
12月5日には、この全額払い戻しの期間をさらに3カ月延長した。
中国中央テレビ(CCTV)は12月初め、オンラインプラットフォームのデータとして「12月に予定されていた中国発日本行きの便のうち、1,900便超がキャンセルされ、全体の4割以上に達する」と報じている。
興味深いのは、中国本土から日本への航空座席供給そのものは前年同時期より多かったとされる点だ。
政治的緊張で一部フライトが削減されつつも、なお座席数は前年を上回っており、それがかろうじて訪日客数の「微増」を支えたという構図である。
一方で、香港については座席供給が減ったことが、訪日客減少の主因と分析されている。
経済的インパクト:1.49兆円=約6.64兆バーツの損失試算
ノムラ総合研究所のエコノミストは、中国からの観光客が大きく減少した場合、日本経済への損失は今後1年間で約1.49兆円に達するとの試算を示している。
タイ通貨に換算すると、約6.64兆バーツ規模に相当する。
この数字は、国家規模のマクロ推計ではあるものの、「インバウンドに頼るビジネスは、外部要因ひとつで売上が大きく振れる」という現実を、金額で示しているといえる。
タイでカフェを1店舗開く個人事業主であっても、同じ構図から逃れることはできない。
規模の大小を問わず、「顧客の国籍が偏っているビジネス」は、こうしたショックにきわめて弱い。
タイで起業する日本人がこの事例から学ぶべき3つの視点
1. 「一国依存」を避けるビジネス設計
日本のケースでは、中国本土・香港・台湾が「最大の訪日客源」であるとされ、そのうち中国本土と香港の動きだけで、訪日市場全体の空気感が一変した。
タイで個人ビジネスを始めるあなたにとっても、教訓は明快だ。
– 売上の大半を特定の国・地域の顧客に依存しない
– できる限り複数の国籍・属性の顧客を想定して商品・サービスを構成する
– 価格表示やメニュー、接客言語なども、特定国向け“一点張り”にならないようにする
日本で起きたことは、「ある一国で政治的リスクが顕在化すれば、その国からの旅行者が一気に減りうる」という事実であり、場所をタイに移しても構造は変わらない。
2. 政治・安全保障ニュースは「売上の先行指標」
2025年11月7日の首相発言と、その後の中国側の警告・フライトキャンセルの流れは、政治・安全保障ニュースが観光需要の「直接のトリガー」になりうることを示した。
タイで起業する個人事業主にとっても、次のような姿勢が求められる。
– 自分の主要顧客層の「母国」で、どのような外交・安全保障上の議論が起きているかを継続的にチェックする
– 旅行警告や安全情報の発出は、小さなカフェやサロンの売上にも波及しうる「経営情報」として扱う
– 政治ニュースを「遠い世界の話」と切り離すのではなく、「数カ月後の売上」を占う材料として読む
日本の例では、発言からわずか数週間の間に、旅行警告→航空会社の払い戻し拡大→大規模なフライトキャンセルと、一連の反応が一気に表面化した。
このスピード感は、タイでのビジネスにもそのまま当てはまりうる。
3. 上流の「航空座席」と「渡航ルール」を常にモニターする
JNTOのレポートでは、
– 中国本土:政治的事情でフライト削減があっても、前年より座席供給は多く、それが訪日客の微増を支えた
– 香港:座席供給の減少が観光客減少の主因とみられる
と分析されている。
つまり、観光客数は「行きたい人の数」だけでなく、「座席の数」「航空会社の運賃政策」「払い戻し条件」など、上流の交通インフラで大きく左右される。
タイでのビジネスでも、
– ターゲットとする国・地域からタイへの直行便がどの程度あるか
– その便数や座席数が増えているのか減っているのか
– 渡航警告やビザ要件の変化で、予約キャンセルが起きやすい状況かどうか
といった指標は、売上の「先行指標」になりうる。
規模の小さな個人事業であっても、航空会社や政府の発表内容を定期的に確認する習慣を持つことで、需要の変動をいち早く察知しやすくなる。
タイ個人起業のための実務的チェックリスト
日本のインバウンド減速という“他山の石”から、タイで個人起業する日本人が取り入れやすい行動指針を、いくつか整理しておく。
– 顧客ポートフォリオを意識する
– 国籍・年齢・目的(観光・出張など)が極端に偏らないよう、想定顧客像を複数用意する
– 変動費比率を高めに設計する
– 突然の需要減少にも耐えられるよう、固定費を抑え、仕入れや人件費をできる限り変動費化する
– 売上急減シナリオを事前に描く
– 「主要顧客国からの旅行が3割減ったらどうするか」を、売上・利益のシミュレーションとあわせて具体的に書き出しておく
– 他国・他地域の需要も取りに行ける準備をする
– メニュー表記やオンライン発信を、特定言語だけに依存しない構成にしておく
– ニュースとデータを「経営の材料」として読む
– 外交・安全保障ニュースや航空会社の発表を、感情論ではなく「事業への影響可能性」という観点で整理する
これらは、日本の観光統計に直接書かれているわけではないが、そこから読み取れる「構造」をタイでの起業に応用したものである。
おわりに:タイで起業するなら、日本の“いま”を他人事にしない
2025年の日本は、中国本土・香港からの観光客の急減速、台湾からの訪日客の過去最高更新という、対照的な動きを同時に経験している。
そこに共通するのは、「市場は常に変化し、政治・外交・安全保障が、その変化の速度を一気に加速させる」という事実だ。
タイで個人起業を目指す日本人にとって、日本のインバウンド統計は、単なるニュースではない。
次のような問いを、自分のビジネスプランに突き付けてくる“チェックリスト”でもある。
– 顧客が一国に偏っていないか
– 政治・外交ニュースを「売上のリスク」として把握できているか
– 渡航警告やフライトキャンセルが起きたとき、翌月の売上計画をどう軌道修正するか
西暦2023年=タイ仏暦2566年以降、日本の観光市場は目まぐるしい変化を経験してきた。
その変化を横目に見ながら、あなたがタイで立ち上げる小さなビジネスの「足腰」を、いま一度点検しておく価値は大きい。
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参照記事:https://www.bangkokpost.com/business/general/3159729/chinese-tourist-arrivals-to-japan-lose-momentum-amid-simmering-tensions
