タイで事業を起こすとき、洪水などの自然災害は避けて通れないリスクである。今回、タイ財務省が洪水被害者向けに公的金融機関と商業銀行を総動員し、返済猶予や特別金利を打ち出したことで、中小事業者の「いざ」というときの資金繰りの姿が見えてきた。日本人起業家にとっては、タイの金融システムがどこまで事業継続を支えてくれるのかを具体的にイメージする材料になる。
洪水被害時に動く公的マネー
エーキニット財務相は、国営金融機関に対し、洪水被害を受けた人々への信用供与や債務返済の救済を行うよう指示した。住宅の修理や生計手段の再開に必要な資金、災害期間中の生活必需支出、既存の債務返済をカバーする狙いである。
財務省は、政府系の専門金融機関と連携し、被災地域の住民と事業者への支援加速を図るとしている。政府貯蓄銀行、農業・農業協同組合銀行、中小企業開発銀行による緊急・復旧融資、政府住宅銀行による住宅支援が柱だ。
既存債務の返済条件の見直しも用意されている。政府貯蓄銀行、政府住宅銀行、中小企業開発銀行、イスラム銀行、タイ輸出入銀行が、返済スケジュールの調整などを行う構えとされる。借り手の負担を軽くするため、タイ信用保証公社からの支援策も準備されている。
これらの救済策は、小口個人向けだけでなく、事業者向けの各種ローンを対象とする。商業銀行や専門金融機関、ノンバンクを含む金融機関が、それぞれ洪水被害顧客の債務返済条件を緩和する形だ。
日本人がタイで個人起業や小規模ビジネスを営む場合も、こうした枠組みの恩恵を受ける可能性がある。もっとも、制度の詳細や適用条件は金融機関ごとに異なるため、取引銀行に個別に確認する姿勢が重要になる。
主要銀行の具体的な救済策
クルンタイ銀行の大幅返済軽減
国内で貸出残高が最大のクルンタイ銀行は、小口借り手と中小企業向けのタームローン、住宅ローンに対し、1年間、毎月の返済額を現行水準から75%減らす措置を取る。返済負担を大きく圧縮し、手元資金を確保させる狙いとみられる。
さらに、中小企業向けタームローンと住宅ローンについて、最初の3カ月は金利ゼロとする。その後の残り期間は、最長33カ月の範囲で年2.5%の金利を適用する枠組みだ。最大3年間にわたり特別金利を受けられる選択肢も用意されている。
運転資金向けには、最長5年の期間で特別金利のローンを用意する。最初の2年間は年5.3%からの金利とし、その後は最低貸出金利(MLR)から1ポイント差し引いた水準とする形である。
起業初期からクルンタイ銀行と取引しておけば、災害時にこうしたメニューを選べる余地が広がる。どのタイプの融資が自社に合うか、平時から担当者と擦り合わせておきたいところだ。
バンコク銀行・カシコン銀行の運転資金支援
バンコク銀行は、大企業と中小企業の双方を含む事業者に対し、追加の運転資金を供給するとしている。事業の流動性を支え、操業再開や店舗・工場の修繕を後押しする形だ。
住宅ローン利用者向けには、住宅修繕用の追加与信枠を設ける。最初の3カ月は金利ゼロとし、被災直後の資金繰り負担を抑える設計である。
カシコン銀行は、個人と法人の両顧客を対象に、最長3カ月の一時的な返済猶予を提供する。あわせて、特別条件と特別金利を付けた運転資金ローンも用意する方針だ。
中小企業ローンについては、最長6カ月の返済猶予を認める。さらに、既存枠に対し最大20%までの追加融資枠を設けることで、資金繰りに余裕を持たせる構成となる。
日系の小規模事業者から見れば、短期の売上減少をしのぐ「ブリッジ資金」に近い性格を持つ。売上回復のメドと返済開始時期をどう整合させるかが、利用時の重要な検討点になろう。
サイアム・コマーシャル銀行などの返済ホリデー
サイアム・コマーシャル銀行は、オートローン、住宅ローン、中小企業ローンを対象に、最長3カ月の「返済ホリデー」を提供する。一定期間、元利払いを止めることで、被災直後の資金流出を抑える。
TMBタナチャート銀行とアユタヤ銀行(クルンシィ)は、住宅ローンやオートローン、無担保ローンの最初の3カ月について、一時的な返済猶予を設ける。個人の生活資金の目詰まりを防ぎ、消費と事業活動の下支えを狙う構図である。
こうした返済猶予策は、当面のキャッシュアウトを抑える一方、後ろの期間に返済が繰り延べられる。起業家としては、「猶予は実質的な追加借り入れ」という意識で、将来の返済負担も計算に入れる必要がある。
保険と車両をめぐるポイント
財務相は、洪水で損傷した被保険車両に関し、保険会社が保険金を迅速に支払うよう、保険委員会事務局(OIC)に指示した。物流や営業車両を使う小規模ビジネスにとって、これは重要なメッセージである。
車両が長期間使えないと、売上にも直結する。保険金の支払いが早まれば、修理や代替車両の手当てがしやすくなる。事前に、自社の自動車保険が洪水被害をどこまでカバーするか、証券の約款レベルで確認しておく価値がある。
日本人起業家としては、タイでの事業車両・設備の保険加入を「コスト」ではなく「事業継続のための投資」ととらえたい。とくに地方での配達業や建設関連など、水害の影響を受けやすい業種では、保険と銀行支援をセットで設計する発想が必要になる。
日本人起業家がいま準備できること
今回示された各種支援策からは、タイでは洪水などの災害時に、国と金融機関が連携して、返済条件の緩和と追加融資で事業者を支えるという基本線が読み取れる。制度の中身は状況ごとに変わるとしても、この枠組み自体は今後も踏襲される可能性が高いとみられる。
他方で、どの支援をどこまで使えるかは、平時の銀行取引や信用状態によって左右される。口座開設だけでなく、日々の入出金や売上入金を通じて「動きのある口座」を維持し、タイ人の共同経営者や会計事務所も交えながら、取引銀行との関係をつくっておくことが、災害時の選択肢を広げる。
外国人起業家の場合、支援メニューの利用条件がタイ人と異なる場合も想定される。どの口座・どのローンが対象になるのか、会社登記やビザ・ワークパーミットの状況が影響するのか、といった点は、事前に担当者へ率直に質問しておく姿勢が欠かせない。
最後に意識しておきたいのは、洪水支援であっても、その多くは「返済義務のある資金」であるという点だ。公的支援や特別金利を前提にした資金計画ではなく、「最悪、外部支援がなくても3カ月は持ちこたえられる」程度の内部留保を目標にしつつ、支援策はあくまで補完と位置づける。タイで個人起業を志すなら、このくらいの慎重さが、長く事業を続けるための現実的な防災策になると考える。
