タイの鉄鋼市場が大きく揺れている。中国からの安価な鋼材流入と価格乱高下で、タイ国内メーカーの操業率は3割を割り込んだ。一方で建設向け需要は増えており、鋼材を使うビジネスを狙う日本人起業家には、調達コストと取引先選びを見直す好機ともなりうる局面だ。
中国鋼材の流入とタイ鉄鋼メーカーの苦境
インド系大手のタイ鉄鋼会社、Tata Steel (Thailand)(TSTH)は、世界の鉄鋼価格が読みづらくなっていると警鐘を鳴らす。ホルムズ海峡や紅海の航路が混乱し、ドナルド・トランプ米大統領の軍事行動も重なり、ビレットやスラブの価格が乱高下しているという。
TSTHのアヌラグ・パンディー社長は「世界の鋼材価格は多くの要因で急変する」と話す。原料価格や海上輸送、地政学リスクが複雑に絡み、先の読みにくい市況になった格好だ。
そこに追い打ちをかけるのが中国発の供給増である。中国は長引く不動産不況で国内需要が弱まり、輸出に活路を求めている。中国の鋼材輸出は2025年に1億1,900万トンと記録的な水準となり、2026年1〜5月も4,460万トンと前年同期の4,120万トンから増加した。
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東南アジア向け輸出が膨らむ中で、タイ市場も直撃を受ける。とりわけワイヤーロッド(線材)の輸入が急増し、2026年1〜5月の鋼材輸入全体の66%を占めた。数量は63万6,000トンに達し、タイの線材市場を席巻している。
安価な輸入鋼材の「洪水」で、タイ国内工場の稼働率は3割を切ったとパンディー氏は語る。設備を持つ側には苦境だが、鋼材を購入する側から見れば、仕入れ先の選択肢が増え、価格交渉の余地も広がった状況といえる。
TSTHは政府に対し、ダンピング防止措置や輸入鋼材の品質規制強化を求めている。もしこうした措置が導入されれば、安価な中国材に一定の歯止めがかかり、輸入価格や調達条件が変わる可能性がある。
強いバーツと輸出入ビジネスの損益分岐
TSTHのサンジャイ・クマール・シュリヴァスタフ最高財務責任者(CFO)は、為替にも警戒を示す。強いバーツがタイからの輸出を圧迫し、逆に輸入品を割安にしていると指摘する。
タイバーツ高は、中国からの安価な鋼材を一段と競争力のある価格にする。CFOは「強いバーツは輸入仕上げ鋼材、特に中国からの安価な鋼材をタイ市場でより競争力あるものにする」と話す。輸入側には追い風、輸出側には向かい風という構図だ。
日本人起業家にとって、鋼材を使うビジネスの損益分岐点は、こうした為替と市況の組み合わせで大きく動く。タイ国内向けに製造・加工して販売するモデルなら、強いバーツと安価な輸入鋼材を調達コストの低下につなげやすい。逆にタイから第三国へ鋼製品を輸出するモデルでは、為替と販売価格のバランスが一段とシビアになるとみられる。
契約通貨をバーツにするか外貨にするか、鋼材の仕入れ価格変動をどこまで販売価格に転嫁できるか――。小規模ビジネスでも、為替と原材料コストをセットで設計する必要がある局面だ。
底堅い国内需要と建設関連ビジネス
足元の需要面を見ると、タイ国内の鋼材消費はむしろ増えている。2026年1〜5月の鋼材消費は764万トンと、前年同期比1.6%増となった。
牽引役は建設分野などで使われるロング製品だ。鉄筋や形鋼などの需要は、建設活動の活発化と在庫積み増しを背景に10.8%増と大きく伸びた。安価な鋼材流入で供給側は苦しいが、需要側は建設案件と在庫調整で活気を取り戻しつつある構図だ。
この状況は、建設関連の中小ビジネスには追い風となりうる。鉄筋や線材を加工して工務店に納める事業、鋼材を使った部材・簡易構造物の製造などは、材料価格が抑えられれば収益性を確保しやすい。もっとも、顧客側も安価な中国材の価格水準を前提に値下げを求めてくる可能性があるため、原価と販売価格の線引きが重要となる。
日本人起業家が見るべきポイント
TSTHの業績も、市場の「今」を映す鏡になる。2027会計年度第1四半期(2026年4〜6月)の売上高は67億8,000万バーツと前年同期比0.73%減だったが、販売数量は33万4,000トンと1.18%減にとどまった。一方で、利益は4億1,000万バーツと約1割増えている。
売上と数量が小幅減にとどまる中で利益が増えていることから、コスト管理や製品構成の見直しが一定程度進んでいる可能性がある。厳しい市況でも黒字を維持できる体質を持つ企業と、そうでない企業の差が今後広がる局面とみるべきだろう。
こうした環境でタイで起業する日本人が実務面で押さえたいのは、次のような点である。
- 鋼材サプライヤーの財務体質と操業状況を確認し、価格だけでなく持続性を重視して取引先を選ぶこと
- 価格変動が激しいビレットやスラブを前提にする場合、長期固定価格ではなく、短期契約や価格スライド条項を組み込むこと
- 在庫積み増しの動きがある中で、自社はどの水準まで在庫リスクを取るか、資金繰りとセットで設計すること
パンディー氏が指摘するように、鋼材価格は「多くの要因で急変」する。小さな会社ほど、一度の在庫評価損が資金繰りを直撃するため、調達の頻度とロットを細かく刻むなど、リスクの分散が鍵となる。
鉄鋼市況を前提条件にした事業設計
中国からの安価な鋼材、強いバーツ、建設向けロング製品の堅調な需要――。現在のタイ鉄鋼市場には、相反する力が同時に働いている。どの力を自社にとっての追い風とし、どこをリスクとみるかが、起業計画の成否を左右する。
鋼材を大量に使う事業を構想するなら、コスト面では今は有利な局面といえる。ただし、国内メーカーの操業率が3割を割り込む中で、取引先の再編や倒産が起きるリスクも頭に置きたい。サプライチェーンが細ると、一時的に調達が難しくなる可能性もあるためだ。
一方、TSTHが政府に求めるダンピング防止措置や品質規制が本格化すれば、市況は別の局面に移る。輸入鋼材の価格が上がれば、今度は国内メーカーの交渉力が増す展開もありうる。起業家にとって重要なのは、どちらのシナリオに振れても対応できるよう、複数の調達ルートと価格条件をあらかじめ組み込んでおくことだ。
タイの鉄鋼市場は今後も世界情勢と中国経済の影響を強く受けるとみられる。起業のタイミングを測るよりも、変化を前提にした事業設計と契約設計を用意できるかどうかが、タイでの個人起業の実務的な勝負どころになる。
