タイで個人起業する日本人が押さえるべき新・長期投資減税構想TISAの行方
タイで個人事業やスモールビジネスを始める日本人にとって、「事業税務」だけでなく「個人としての貯蓄・投資の税制」をどう設計するかは、将来の資産形成に直結するテーマだ。
とりわけ、タイ仏暦2566年(西暦2023年)時点で議論されている長期投資向け税制優遇の見直しは、数年先に実務へ影響し得る。
現在タイ財務省は、既存の長期貯蓄・投資向け税額控除を再設計し、「Thailand Individual Savings Account(TISA)」という新しい枠組みへの転換を検討している。これは“タイ版個人貯蓄口座”とでも呼ぶべき構想であり、タイで課税される個人として活動する起業家にも無関係ではない。
以下では、現在の制度と今後の変更案を整理しつつ、日本人個人起業家がどのように備えるべきかを考える。
この記事の目次
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現行制度:長期貯蓄・投資への税控除は最大80万バーツ
タイでは現在、長期の貯蓄・投資を後押しするために、一定の金融商品・制度への拠出額を所得から控除できる仕組みが整えられている。
1. 基本枠:最大50万バーツの控除
まず、以下のような長期貯蓄・退職関連の商品・制度への拠出は、合計で最大50万バーツまで所得控除の対象となる。
– 年金型生命保険(アニュイティ保険)
– 退職ミューチュアルファンド(RMF)
– プロビデント・ファンド(PVD)
– 政府職員年金基金(GPF)
– 私立学校教師厚生基金
– 国民貯蓄基金(NSF)
給与所得者向けの退職制度や個人年金商品が中心だが、「個人としての老後資金づくり」をサポートする位置づけだ。タイで個人事業を営みつつ、これらの商品を利用しているケースもあり得る。
2. ESGファンド枠:課税所得の30%、最大30万バーツ
これに加えて、タイのESGファンド(環境・社会・ガバナンスを重視する投資信託)への投資額については、
– 課税対象所得の30%を上限、
– かつ最大30万バーツ
まで所得控除が認められている。
3. 合計の上限は80万バーツ
上述の「長期貯蓄・退職関連(最大50万バーツ)」と「ESGファンド(最大30万バーツ)」を合わせた、控除合計の上限は80万バーツに設定されている。
タイで個人として事業を行う日本人であっても、タイ居住者として課税され、それぞれの商品に加入していれば、この枠組みの影響を受ける可能性がある。
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2027年以降、ESGファンドの税優遇は段階的に縮小・停止へ
問題は、このESGファンドに対する税制優遇が現在の姿のままでは続かない点にある。看守内閣のエクニティ財務相代行によれば、長期貯蓄・投資制度の改善が行われない場合、2027年以降、給与所得者を中心とする納税者の税制メリットは徐々に薄れていく見通しだ。
具体的なスケジュールは次の通りである。
2027〜2032年:ESG控除枠は10万バーツに縮小、合計上限は60万バーツへ
2027年から2032年の間は、
– タイESGファンドへの投資で所得控除が認められる金額が、最大10万バーツに縮小される。
– その結果、長期貯蓄・退職関連(最大50万バーツ)と合わせた合計控除上限は60万バーツに下がる。
ESGファンドを活用して80万バーツまで控除枠をフルに使っていた層にとっては、税負担の増加要因となる。
2033年以降:ESGファンドは所得控除の対象外に
そして2033年からは、タイ歳入局はESGファンドへの投資を所得控除の対象から完全に外す方針だ。
ESG投資そのものは続くとしても、「税制メリットを目的に多額を投じる」インセンティブは大きく損なわれる。長期的に資産形成を設計する起業家にとっては、ESGファンドをどう位置づけ直すかの再検討が求められる。
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新構想「TISA」:年80万バーツの枠をどう使わせるか
こうした中で財務省が打ち出しているのが、新たな個人向け長期貯蓄・投資制度「Thailand Individual Savings Account(TISA)」構想である。これは既存の制度を1つの“バスケット”にまとめ、設計を組み替えるイメージに近い。
対象商品を広げたうえで控除上限は80万バーツ
TISAの下では、長期貯蓄・投資に関する所得控除枠は年間80万バーツに設定される方向だが、その範囲は現在よりも広い。
カバーされるとされるのは、次のような商品・資産クラスである。
– 年金型生命保険
– RMF、PVD、GPF
– 私立学校教師厚生基金
– NSF
– 株式
– 上場投資信託(ETF)
– その他の投資信託
– 債券などの債務証券
– タイESGファンド
– インフラファンド
現行制度では退職関連商品とESGファンドが中心だったが、TISAでは株式やETF、インフラファンドなど、より幅広い資産が「長期投資」として一括して扱われる構想だ。事業のキャッシュフローから余裕資金を捻出して、上場株式やETFで運用している個人起業家にとっては、選択肢が増える可能性を意味する。
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所得150万バーツが分岐点:中所得層優遇の仕組み
TISAの特徴は、単に対象資産を広げ、枠を80万バーツに設定するだけではない。所得水準に応じて、同じ投資額でも控除額を変える点が重要だ。
年収150万バーツ以下:1.3倍の優遇、控除上限は104万バーツ
年収150万バーツ以下の納税者については、TISA対象となる貯蓄・投資支出は1.3倍して控除額を計算できる。
– 控除に用いられる投資額の上限:80万バーツ
– 計算上の控除額:投資額 × 1.3倍
– ただし、控除額の上限は1人あたり年間104万バーツ
たとえば、80万バーツをTISA対象商品に投じた場合、
– 計算上の控除額:80万バーツ × 1.3 = 104万バーツ
となり、上限いっぱいまで所得控除が認められる構造だ。
タイで個人事業を営みつつ、年収(事業所得を含む個人所得)が150万バーツ以下に収まる層は、この仕組みの恩恵を受けやすい。
年収150万バーツ超:0.7倍に抑制、控除上限は56万バーツ
一方、年収150万バーツを超える納税者については、TISA対象投資額は0.7倍して控除額を算出するルールが想定されている。
– 控除に用いられる投資額の上限:80万バーツ
– 計算上の控除額:投資額 × 0.7倍
– 控除額の上限は56万バーツ
こちらも同様に、80万バーツを投じた場合、
– 計算上の控除額:80万バーツ × 0.7 = 56万バーツ
と、上限いっぱいまでの控除となる。
同じ80万バーツを投資したとしても、
– 年収150万バーツ以下:控除額 104万バーツ
– 年収150万バーツ超:控除額 56万バーツ
と、所得が低いほど控除メリットが大きくなる、逆進性を抑えた設計と言える。
個人起業家にとっては、事業拡大に伴う所得増加が、そのまま個人の税制優遇縮小にもつながる可能性があることを頭に入れておく必要がある。
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利子・配当・キャピタルゲイン20万バーツまで非課税に
TISA構想には、所得控除だけでなく、投資から得られるリターンに関するインセンティブも組み込まれている。
TISAで定める一定額を超えて貯蓄・投資を行った場合でも、その超過分から生じる
– 利子
– 配当
– キャピタルゲイン(値上がり益)
については、合計20万バーツまで非課税とする方向が示されている。
すなわち、
1. TISA枠内の投資については、元本に対する所得控除で節税効果を得る。
2. さらに枠を超える追加投資部分でも、リターンの一部について非課税メリットを享受できる。
という二層構造だ。
事業からの利益を段階的に金融資産へ振り向ける個人起業家にとっては、「どこまでをTISA枠に収め、どこからを追加投資とみなすか」が、将来の税負担を左右するポイントになり得る。
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制度化は未定:議会解散で先送り、今のうちにシナリオを描く
もっとも、エクニティ財務相代行は、TISA構想についてさまざまなステークホルダーからの意見聴取を続ける必要があるとし、とりわけ以下の論点が調整対象だと認めている。
– 年収150万バーツ未満と超の層のバランス
– 各所得層にとっての税制メリットのあり方
さらに、現時点では議会が解散されているため、政府としてTISAを法制度として前に進めることはできない状況にある。正式な制度化の時期も確定していない。
したがって、TISAはあくまで「方向性としての政策案」であり、タイで個人起業を考える日本人としては、以下のように“複数シナリオ”で備えておくのが現実的だ。
– 2027〜2032年のESGファンド控除縮小、および2033年の控除廃止は、現行方針として念頭に置く。
– TISAが導入される場合でも、具体的な税率・条件は今後調整される余地があることを前提に、過度に制度を先取りしない。
– 一方で、「年収150万バーツ」が政策議論の分岐点になっていることから、事業計画上の所得水準と個人資産運用のバランスを意識しておく。
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日本人個人起業家が今から考えるべき3つの視点
最後に、タイで個人として起業・ビジネス展開を志す日本人にとって、上記の議論から導かれる実務的な視点を3点に整理したい。
1. 「事業」と「個人資産形成」を切り分けて設計する
TISA構想が示す通り、タイ政府は個人レベルでの長期貯蓄・投資を強く意識している。
起業を考える際も、
– 事業への再投資(在庫、設備、人材など)
– 個人としての長期投資(年金商品、株式、ETFなど)
を意識的に分けて設計し、いずれTISAのような制度が導入された際に個人の投資枠を最大限活かせる余地を残しておくことが重要になる。
2. 所得150万バーツ付近での「税メリットと成長」のトレードオフ
TISAの設計を見る限り、年収150万バーツが税制優遇の“分水嶺”となる方向性が示されている。
個人起業家にとっては、
– 所得をあえて抑えて税優遇を最大化するのか
– 高い所得を取りに行きつつ、税負担増を事業拡大で吸収するのか
というトレードオフが生じ得る。もちろん、最終的な判断は制度の正式決定と実際の税率を見極めた上で行うべきだが、「税」と「成長」をセットで考える発想は今から身につけておきたい。
3. ESGファンド偏重からのポートフォリオ再構築
ESGファンドへの税制優遇は、2027年以降の縮小、2033年以降の控除廃止が見込まれている。
これまでESGファンドに大きく依存していた場合、今後は、
– 退職関連商品(RMFなど)
– 株式・ETF
– インフラファンド
– 債券
など、複数の資産クラスを組み合わせるポートフォリオ構築が避けられない。
TISAが導入されれば、こうした商品群が一つの枠組みで扱われる可能性が高く、税制面でも分散投資がしやすくなることが期待される。
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タイ仏暦2566年(西暦2023年)時点では、TISAはあくまで構想段階にすぎない。しかし、ESGファンド優遇の縮小・廃止スケジュールはすでに示されており、長期の資産形成を考える個人起業家にとって無視できない要素となっている。
「タイで稼ぐ」だけでなく、「タイの制度を踏まえてどう守り、増やすか」。
これからタイで個人起業を目指す日本人に求められるのは、事業と個人資産の双方を見渡しつつ、変わりゆく税制を冷静に読み解く視点である。
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参照記事:https://www.bangkokpost.com/business/investment/3171090/call-for-swift-reform-of-tax-incentives
